中世ヨーロッパと西洋占星術
中世ヨーロッパでは、11世紀頃まではアラブの占星術理論を受け入れられるだけの知的基盤自体がなかったが、いわゆる「12世紀ルネサンス」の中で、他の科学書とともに多くの占星術書がアラビア語からラテン語に翻訳され、占星術知識が再興・発展した。ヨーロッパの占星術師達はイスラム世界の占星術の技法を吸収し、またそこから新たな技法を見出すこととなった。例えばハウス分割において現在主流であるプラシーダスの技法はイスラム起源であり、プラシーダスがヨーロッパで広まる500年前にアブラハム・イブン・エズラがこのハウスシステムの計算方法を述べている。
1130年頃から1150年頃までに、クレモナのジェラルドらによって、プトレマイオスの『アルマゲスト』『テトラビブロス』、アブー=マーシャル『大序説』、偽プトレマイオス『ケンティロクイウム』(百の警句)などが訳され、特にアブー=マーシャルはその後1世紀あまり占星術の権威と見なされた。占星術書を特に多く翻訳したのはセビーリャのフアンである。彼はアブー=マシャール、マーシャーアッラー、アル=カビーシーらの複数の著作、『ケンティロクイウム』などの翻訳をてがけたほか、自身でも『全占星術綱要』を執筆した(これは16世紀に出版された)。
古代ギリシャに存在していたとされるアストロラーベも、イスラム世界を経由してヨーロッパ人たちに再認識された。
しかし、イスラム世界の占星術の権威は長続きしなかった。西洋の占星術師たちが独自の技法を発展させていったことや、キリスト教神学者の間での議論の影響を受けたためである。神学者ではないが、ダンテもイスラム科学をキリスト教徒が使うことには批判的で、その影響を強く受けた占星術にも同様に批判的だった(彼は『神曲』の中で13世紀の代表的な占星術師グイド・ボナッティとマイケル・スコットを地獄に落としている)。ただし、こうした動きはイスラム世界起源の占星術書が全く省みられなくなったことを意味しない。特に15世紀以降の印刷革命に波に乗って、ルネサンス期には多くのアラブ系の占星術書が出版されたし、近世の著名な占星術師の一人ウィリアム・リリーは、否定的な見解を示しつつも、アラブの占星術も研究したと語っている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
占星術理論を受け入れるようになったのは割と最近だったみたいですね。
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